別アングルは柏崎の魅力的な人を取材して、その人の情熱や生き方を紹介するインタビュー記事です。
お話を伺うのは、仕事、遊び、趣味など、何かひとつのことに打ち込む人たち。動機は、好きだから、楽しいから、気が付いたらやっていたからと、いたってシンプル。
それが結果として人を喜ばせ、地域のためになっている。
別アングルから見るとまちづくりになっている。
魅力的なひとの存在に気づけば、またさらに柏崎が好きになれるはず。
そんな想いでこの記事を書きます
佐藤 友理
柏崎市出身。FMピッカラで活動する地域おこし協力隊。
市内高校を卒業後、歌手を目指し上京。
歌手活動と並行してラジオパーソナリティを務める。
2022年10月、柏崎市にUターン。
FMピッカラでラジオパーソナリティを務め、コミュニティ放送を活用した情報発信を行う。

レッスンのない日は柏崎でアルバイトをする。
生活費、バス代、アカデミー2年目の学費…。
20歳になったら上京してさらに歌手への道を突き進むって決めていたのに…。
お金は出ていく一方、一向に貯まらない。
上京できずに悶々とする。今のままではデビューのチャンスもない。
うまくいかない状況に絶望して親の前で泣いた、めちゃくちゃに。
そうしたら普段は口数の少ないお父さんが
「もう俺たちがなんとかするから東京に行きなよ」
って言ってくれて。
その言葉に、お金は無くてもなんとかなるかもって思えるようになった。
甘えるつもりはないけど、もし何かあったら頼っていいんだって。
それがきっかけで関東に出ることに。

関東に出て一年ほど経ったころ、アカデミーを卒業することにした。
ライブもコンスタントに出られるようになっていて、歌唱力にも自信が持てるようになったから。
一万人が参加するオーディションにもエントリー、セミファイナルまで進むことができた。
ステージでのトークに磨きをかけるため、東京FMのラジオパーソナリティにも挑戦。
番組担当の方に気に入っていただき、通常一年契約のパーソナリティーの仕事を何回も更新してくれてラジオの仕事をくれた。

けれども歌手を目指す道も終わりが近づいてきている。
今でこそ年齢の制限はないけど、当時の歌手のオーディションは25歳までが多かった。
親からも「早く結婚しなさい。もう25歳なんだから歌なんてやめなさい」と言われる。
それでも私は25歳を過ぎてもずるずると歌を続けた。
歌手になる夢のために、生活費をアルバイトで稼ぐ。
この頃には東京のアパートに住んでいたから、稼がなければいけない。
気が付くと時間のほとんどが歌手の事よりアルバイトになっている。
「もっと一生懸命、歌手になるためのことをやればよかったのかな…」
練習についていくだけになっていた高校のバレー部のことを思い出す。
やるべきことだけを集中してやっていないなって後悔した。
歌手になるためには柏崎を出なければいけなかった。
それでも夏と年末年始は必ず帰省していた。
柏崎は食べ物も美味しいし、花火もキレイ。
東京の人に柏崎の花火すごいんだよ!って話しても
「え、新潟の花火って言ったら長岡じゃない?」
なんて言われるのが悔しかった。
一緒に歌をやってる子とYouTubeで新潟方言クイズをやった。
新潟県外出身の人と私が方言のやりとりをするのが面白かったようで、いろんな人に見てもらえて高評価だった。
柏崎への思いがたくさんある自分に気づいた。
「そういえば柏崎にはFMピッカラがあったよね。いまどんな感じだろう?」
何気なくFMピッカラを調べると、地域おこし協力隊募集の文字が出てきた。
いま東京で仕事して携わっているラジオの仕事。その仕事をしながら町おこしができるなんて!
詳しく話を聞くといまの自分にぴったりで、やりたいことに挑戦できそうだ。
FMピッカラの地域おこし協力隊になるなら、当然東京でのいまの暮らしは全てやめることになる。
迷ったけれど、勇気を出して応募することに。

2022年10月、FMピッカラの地域おこし協力隊に着任。
優しい先輩たちにラジオの基礎から学ばせてもらいながら、ひとり立ちできるよう勉強している。
自分がいた10年前と今の柏崎は大分変っていた。
友達も結婚、出産をしていて気軽に会えない。
学生時代に溜まっていた場所に行っても若い子の姿は無い。
ただ、今は新しい出会いが多くて、視野も広がって楽しい。
昔は知らなかった柏崎との出会いがたくさんある。
一度、柏崎の外に出たから、この町の良さが一層わかるのかな。
柏崎に住んでいる人にラジオを通じて
「みんながいま住んでいる町って、すごく良いところなんだよ」
って伝えていきたい。
photo:ヒロスイ