別アングルは柏崎の魅力的な人を取材して、その人の情熱や生き方を紹介するインタビュー記事です。
お話を伺うのは、仕事、遊び、趣味など、何かひとつのことに打ち込む人たち。動機は、好きだから、楽しいから、気が付いたらやっていたからと、いたってシンプル。
それが結果として人を喜ばせ、地域のためになっている。
別アングルから見るとまちづくりになっている。
魅力的なひとの存在に気づけば、またさらに柏崎が好きになれるはず。
そんな想いでこの記事を書きます
佐藤 友理
柏崎市出身。FMピッカラで活動する地域おこし協力隊。
市内高校を卒業後、歌手を目指し上京。
歌手活動と並行してラジオパーソナリティを務める。
2022年10月、柏崎市にUターン。
FMピッカラでラジオパーソナリティを務め、コミュニティ放送を活用した情報発信を行う。

自分が自分らしく居られる瞬間。
それは、歌を歌っている時。
ラジオでトークしている時。
ステージとラジオブースにいるあいだ、私は主役になれる。
歌が好きになったきっかけは、保育園の時に母親が聞いていた昭和歌謡曲。
おもちゃのマイク片手に髙橋真梨子『桃色吐息』なんかを歌ってた。
次にハマったのはモーニング娘。
初めて聞く曲調に耳を奪われ、CDジャケットのアートワークにも目を引かれた。 みんなカワイイ!
歌だけじゃなくダンスも真似して踊る。
ビデオをスローモーション再生して、何回も巻き戻して見て覚える。
幼馴染と2人、将来は歌手になることを夢見ていた。

小学校では一時期不登校になった。
私には兄弟がいない。一人っ子だ。
どこに行っても1人だったせいか、他人の目がすごく気になる子だった。
イジメられたわけじゃない。
きっかけや理由もなく学校に行けない日が続く。
家族との関係もギクシャクして、地獄だった。
学校が休みの土日は少し気持ちが安定する。
「今日はみんなも学校に行ってない。私だけが休んでるわけじゃない」
家にいていいんだという安心感がある。
土日には幼馴染と遊んで歌を歌って過ごした。
学校の先生は助けてくれるし、友達も学校に行っていないことに関して何も言わない。
まわりの人がみんないい人だった。
ひょんなことがきっかけでまた学校に行けるようになった。

地区のサークルに参加したことで始めたバレーボールは、中学校に入ると先輩たちと一緒にレギュラーとして試合に出るまでになっていた。
「高校ではバレーはやらない。帰宅部に入ってのんびりしよう」
最初はそう思っていたのだけど…。
誘われるまま見学に行ったバレー部で、先輩たちが練習している姿を見ていると
「私にもできるかな?」
という気持ちが芽生えてくる。
自信もあったから迷いながらもバレー部に入部。
ここから壮絶な部活生活が始まり、私は何度もこの時の決断を後悔することになる。
入部して初めての練習で、過呼吸になった。
練習がきつ過ぎてついていけない。
中学校までの練習とは質が違い過ぎる。

他校と一緒にやる夏の合同合宿もハードだった。
早朝から夜遅くまでひたすら練習。
時間は分刻みで管理されている。
暑くてバテてご飯も喉を通らないけど、お昼ご飯は残しちゃいけないルール。
意を決して出されたお弁当箱のふたをパカッと開けると…。
白いご飯と焼きそばの炭水化物コンビ。
残さないよう必死に食べる。
過酷な合宿の唯一の楽しみは、夜中に「じゃがりこ」を貪り食べること。
友達と無言でガリガリ音を立ててじゃがりこを食べて寝る。
合同合宿で他校も一緒だから騒げないし、「今日の練習こうだったよね」なんて愚痴も言い合えない。
じゃがりこの音くらいしかストレス発散方法がなかった。

バレーが好きという気持ちはもう無くて。
部活を続けたのは逃げたくなかったから。
ここまで頑張って練習して最後の試合が終わったとき、きっと何かが残るだろうって。
そう信じて続けてきた。
部活を引退した私に残ったのは、一緒に頑張って来た「仲間」だった。
そして部活が終わり進路を考えた時、心に残っていたのはいつも一緒にあった「歌」だった。
episode.2へ続く
photo:ヒロスイ