別アングルは柏崎の魅力的な人を取材して、その人の情熱や生き方を紹介するインタビュー記事です。
お話を伺うのは、仕事、遊び、趣味など、何かひとつのことに打ち込む人たち。動機は、好きだから、楽しいから、気が付いたらやっていたからと、いたってシンプル。
それが結果として人を喜ばせ、地域のためになっている。
別アングルから見るとまちづくりになっている。
魅力的なひとの存在に気づけば、またさらに柏崎が好きになれるはず。
そんな想いでこの記事を書きます。
山田 華緒李
新潟県上越市生まれ。柏崎市矢田集落の地域おこし協力隊。
大学時代に、中国の少数民族が作る亮布(リャンプー)の制作・研究をする。
2020年9月から、地域おこし協力隊として矢田集落へ着任。
コミュニティ活動、住民と一体となった亮布作りを通じて地域商店の復活を目指す。

学部を卒業後、大学院に進んだ。
ファッションデザインのコースに進み亮布の研究を続けることにした。
中国に数回行く中で感じたことがある。
現地では亮布づくりは家事の一環の様に、当たり前のように作られているものだった。
しかし中国はものすごいスピードで近代化、発展している。
今は当たり前の光景の亮布作りが、いずれ近代化に飲み込まれてしまうのではないかという危機感を抱く。
そこで亮布とその周辺を取り巻くいまを大勢の人に知ってもらうために、クラウドファンディングに挑戦した。
写真を撮っている仲間に撮影をお願いし、苗族の方々にもモデルとして協力をしてもらい、亮布の写真集を作るプロジェクトだ。
資金の一部を無事調達し、写真集を発行。
プロジェクトは成功した。

その裏側で、もがき苦しむ状況が続いていた。
継続的な形での亮布制作の現地協力者を得られずにいたのだ。
教授から現地協力者がいないことを、常に指摘される。
「苗族の伝統文化を残したいのに、現地の協力者を見つけないとだめじゃない」
次第に教授と顔を合わせるのもつらくなってくる。
日本と中国。
言葉の壁、文化の違いは大きい。
中国共産党という日本とは全く違う政治制度の問題もある。
ネットは監視されていて体制批判はできない。
私が苗族の村にいたときも漢族の監視が近くで目を光らせていた。
苗族ではない私が外から「亮布が衰退する」と言い切っていいのか、という葛藤もある。
本人たちは近代化が進んでいることを、喜んでいるかもしれない。
外部から私が「このままでは亮布が衰退してしまう」と言い切ることに抵抗感を感じる。
しかも現地でそれをやれば共産党批判となり強制送還されかねない。
悩み苦しみ、自信を無くし、病んでしまいそうな状況。
「亮布のことをやっているのに楽しくない。このままじゃ亮布が嫌いになる…」
そこまで追い詰められていた。
少しずつ教授と距離を置き休学、最終的に大学院を中退した。
その後、アルバイトや一般企業に就職する。
しかし、中国でやり切れなかった事が心のどこかに引っかかっている。
歴史ある古いものを、現代のカタチにアップデートして、これからも残していく。
向こうでできなかったことを、日本のどこかでできないか。
新型コロナが流行り、閉塞感も強まる。

そんな時、柏崎市矢田集落の地域おこし協力隊の募集を見かけた。
「閉店した地域商店を現代のカタチにアップデートするミッション」
自分のやりたいこととマッチしていた。
短期体験会で矢田集落を訪れ、触れ合い感じた地域の人たちの優しさ。
「矢田集落なら自分のやりたいことと、地域の人たちが求めることをひとつにしたことができるかもしれない」
柏崎市矢田で地域おこし協力隊の仕事が決まった。

矢田集落に伝わる神楽衣装。
100年以上伝わると言われるその衣装はボロボロになっていた。
この衣装を亮布で新たに作り直すプロジェクトを立ち上げた。

地域の人たちと一緒になって神楽衣装の素材にする亮布を作った。
亮布は作るのに手間がかかる。
手間がかかることが、地域の人たちと一緒になって一つのものを作るきっかけになった。

遠いところに行くのが好きなわたし。
上越からすれば柏崎はそんなに遠くないけど。
近すぎず遠すぎない矢田集落。
中国に行って「やっぱり日本が好きなんだな」って気が付けた。
今年もたくさんの亮布を矢田集落で作れたらいいな。
photo:ヒロスイ