柏崎市に現存し、令和の現在も続いている、歴史の長い企業や工房をご存知ですか?
まちからコーディネーターが調べた5社の皆様に、会社や工房の「歴史、変遷、今の思いとこれから」をテーマに伺いました。
身近な場所も日本や世界の歴史と比較すると、長く続くこと自体に価値を感じます。ですが、長く続けられているのには理由があります。
最終回となる第5回は「株式会社 丸小鮮魚店」様です。
賢者は歴史に学ぶ。
柏崎の生活や社会に溶け込んだ悠久の歴史と、今を生きる柔軟な方々のマインドに触れてみて下さい。
株式会社丸小鮮魚店




江戸時代から続く柏崎の魚屋、丸小鮮魚店。
当時は魚屋紋次郎として漁師をしながら、魚の卸しをしていました。昭和28年に現在の株式会社丸小鮮魚店として会社化します。
現在は10代目の小林市郎さんが継がれて、11代目である雄太郎さんたち若手の家族と一緒に、柔軟に魚屋を営んでいます。

ー創業した場所について
創業の頃から現在の西本町にあったと伝わっています。
家に初代の小林紋次郎の名前が書かれた提灯入れがあるのですが、そこに中町と書いてあります。中町とは市制を導入する前の西本町周辺の名前ですから、この辺りで続けてきたんだと思います。
ー創業からの変遷
初代の小林紋次郎の頃から漁師をしながら、魚を卸す仕事をしていたようです。昭和28年に株式会社化して、丸小鮮魚店となりました。「まるこ」の「こ」の字があるでしょう。よく間違われるのですが「子」の字ではなく「小」の字なんです。
漁師の仕事は昭和20年、終戦の頃までしていました。船は番神の方にあったと聞いてますが、人に譲ってしまった記憶があります。当時は鯛を中心に漁っていたようです。
おばあさんの口癖で「米山さんの影になるところで鯛が取れるぞ」と、ずっと聞かされていました。
昔の話はよく聞かされています。このあたりは大火が多かったですよね。火事になると番神の漁師たちとみんなで火消しをした話もありました。昔の漁師はいろんなことをしていたそうです。それからは魚屋一本ですね。

今の仕事は、魚屋といって良いのかな?魚の卸しは市場でしていますが、店の方では惣菜をしたり、あんころ餅をしたり、お弁当を作ったり、いろんなものを出しています。あんころ餅は昔食べた味が好きで、妻が再現してくれました。昔ながらのぼた餅ですね。若手たちが苺大福やポテトなんかも作って出してますよ。インスタグラムを使って発信もしてくれています。
お店のコンセプトは「自分たちがおいしいと思うものは売っても良いよね」ということです。
やってダメならやめてしまうんですが、いろいろやると反響があって。おいしいものを喜ばれるのがやっぱりうれしいです。
逆に、魚屋という業種に囚われていると頭が固くなってしまうので良くないですね。魚が常にたくさん取れるなら良いのですが、漁獲量自体も減っています。私たちとしては、お客さんに商品をごり押しするのではなく、柔軟にやっていくのが大事だと考えています。
販売する商品は売り切れるようにしたいので、ひと工夫しています。例えばイワシなんかはそのままだと売れにくいですが、すり身やぬたにしています。加工するので手間がかかると思われますが、仕事は要領の良さ次第です。逆に鮮魚はほとんど扱っていません。生で売るのはお刺身や新巻鮭、あとは魚卵系ですね。できるだけここでしか売れないものを準備しています。

これからは若い人の時代です。息子も奥さんといっしょに仕事してくれています。最近はSNSなども使いながら、やってくれていますね。
彼らにはご先祖さんがしてきたことを、細く長くして欲しい。あんまり太くしても大変ですから。近所のお稲荷さんのご利益がある範囲でやって欲しいですね。
問い合わせ先
株式会社 丸小鮮魚店
TEL:0257-22-4059
WEB:https://marukosengyo.com
instagram:@marukosengyoten
