別アングル 重野 貴明 episode.1

別アングルは柏崎の魅力的な人を取材して、その人の情熱や生き方を紹介するインタビュー記事です。
お話を伺うのは、仕事、遊び、趣味など、何かひとつのことに打ち込む人たち。動機は、好きだから、楽しいから、気が付いたらやっていたからと、いたってシンプル。
それが結果として人を喜ばせ、地域のためになっている。
別アングルから見るとまちづくりになっている。
魅力的なひとの存在に気づけば、またさらに柏崎が好きになれるはず。
そんな想いでこの記事を書きます。

重野 貴明(しげの たかあき)

柏崎市生まれ。重野農産代表。
北条地区で農業を営む。柏崎のブランド米「米山プリンセス」の認証を受ける。
「3K」と言われる農業のイメージを変えるため楽しみながら情報発信をしている。

「こんなに汗水流して働いて儲からないなんて。俺は将来、農業なんてやらない」

小さい頃は農業を職業として見ていなかった。
父親は本業があって週末に農業をする、いわゆる兼業農家だ。
田植えや稲刈りの手伝いをして父親の働く姿を見ていた。
父親の農業は「趣味」だと思っていた。

北条駅の近くで生まれて育ちも北条。中学校の頃の部活は陸上部だった。
校門前には二つの坂があって。
一つは通称「女坂」、傾斜が緩やかな坂だ。
もう一つは「男坂」と呼ばれる、傾斜のきつい坂。
この坂道をダッシュするなんていう、田舎らしい練習をしていた。
小学校も中学校も、今となっては統廃合してしまって建物も残っていない。

中学生の頃の夢はプロレスラー。
高校には進学せずにその道に進もうとした。
父親に相談するが、「高校くらいは卒業しておけ」と言われ断念。
農業高校に進学する。
別に農業をやろうって気持ちがあってこの進路を決めたわけじゃないんだ。
勉強、あんまり得意じゃなかったからね。

将来やりたいことがあるわけじゃない。流れるままに生きる高校時代。
「卒業してすぐ働くなんて嫌だ。2年くらいは遊んでいたい」
そんな時、義兄の働く姿が目に入った。
義兄は自動車整備の仕事をしていた。
車に興味があったわけでは無いけど、卒業後はどこかに行きたいって思いもあって群馬の自動車整備の専門学校に進学した。

専門学生時代にハマっていたものがある。
「群馬」「車」という単語を見て何にハマっていたのか、わかる人には分かってもらえると思う。
1990年代の群馬で自動車と言えば…。
ドリフトだ。
「頭文字D」はチューンドカーで峠道をドリフトする漫画。
当時この漫画が流行っていたから、ドリフト全盛期の時代。
榛名山や赤城山の峠道が舞台の漫画だ。
今でいう「聖地」ってやつかな。
俺はスターレットやシルビアという車に乗ってドリフトして赤城山で遊んでた。

夜遊びしていれば当然、怖い思いもする。
元気でパワーある若者が集まるからね。
揉め事もあった。
車に乗ってやんちゃして、思うように生きる。
当然この時も将来、米を作るなんて思っていない。

専門学校卒業後は柏崎に戻って、自動車整備会社に入社。
学校で車をいじって夜は峠でドリフトして遊んでたから、車には興味がある。
「このまま整備士として生きていくかな」 と考えるようになる。

同時に
「おれは一生このままなのか?」
という思いが頭をもたげる。
「こんな何もないまち、いやだ。もっと違う景色が見たい」
東京に行けばなんとかなるんじゃないか。
やりたいことは決まってないけど、とりあえず東京へ行こう。

東京の友達の家に転がり込む形で上京。
東京で裏方の仕事がしたかった。
好きなアーティストがいたから、そのコンサート会場設営の仕事がしたかった。
本人に会えるかもしれないし、役に立っている気持ちになれる。
しかし、実際にはそれで食っていけるかはわからない。
コネがあるわけでもない。
暮らしていくために、飲食店や結婚式場で、掛け持ちでバイトを始めた。

上京前はなんとかなると思っていたが、やりたいことが見つからない。
バイトでは掛け持ちしても儲からない。
東京で目的もなくプラプラする日々。
居候させてもらっているも友人に申し訳ない気持ちも出てくる。
「東京は遊びに来るところで、暮らす場所ではないのかもな」
徐々にそんな風に思い始めた。

そんな時、父親が体調を崩して入院した。
たまたま長期の休みがあって柏崎に戻り、父親を見舞いに行った。

「帰ってこいや」
言いたかったんだろうけど、その一言を言わなかった父親の表情。
そんな父親の言葉にならない表情を見たとき、申し訳ない気持ちになった。
「けじめをつける。柏崎に帰ってちゃんと仕事をしよう」
その数か月後、柏崎に戻ることにした。

episode.2へ続く

photo:ヒロスイ

2021年3月31日 23:57

カテゴリー / まちから

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投稿者 / yajima