別アングル 渡邉 豊 episode.3

別アングルは柏崎の魅力的な人を取材して、その人の情熱や生き方を紹介するインタビュー記事です。
お話を伺うのは、仕事、遊び、趣味など、何かひとつのことに打ち込む人たち。動機は、好きだから、楽しいから、気が付いたらやっていたからと、いたってシンプル。
それが結果として人を喜ばせ、地域のためになっている。
別アングルから見るとまちづくりになっている。
魅力的なひとの存在に気づけば、またさらに柏崎が好きになれるはず。
そんな想いでこの記事を書きます。

渡邉 豊(わたなべ ゆたか)

柏崎市生まれ。ODDEYE IDEA(オッドアイ イデア)代表。
店舗のデザインや住宅のリノベーションを手掛ける。
柏崎の水球界ではコーチも務め、選手の育成に励む。

社長と二人で始まった会社はとにかく自由だったが、その分、自分でやることは多い。営業、見積もり、図面、管理、お金の計算、クレーム…。全て自分の所にくる。責任は大きい。
誘われて始めたが、店舗内装の仕事は天職だった。
「柏崎にこんな内装のお店があったらいいな」
そんなことを考えながら店舗作りのお手伝いができる。できたお店が人々の目に触れ評価される。
とても刺激的なんだ。


その後ワケあって転職。親友の工務店に拾ってもらい仕事をさせてもらっていたが、そうこうしている間に以前いた会社が倒産。その会社のお客さんから仕事の依頼が来るようになる。ちょうど40歳になる年だった。今まで考えてなかった「起業」という感情が湧いてくる。年齢的にはかなり遅い独立だったが、早くもなく、遅くもなく、この瞬間が自分のタイミングだったと思う。何の準備もなく、2ヶ月余りで行動に移した。勝算なんてなかった。

水球というマイナースポーツの普及・持続は容易ではない。今にも消えそうな柏崎水球というろうそくの火をみんなで手をかざして囲んでいた。水球の火を我々の代で消すわけにはいかない。
ある日、ポリタンクを持った男がやってきてろうそくに灯油を振りまいて火を燃え上がらせた。
「消えそうなら燃える物を持ってくればいいんですよー!」
彼は笑いながら言い、そこら辺にあった燃えそうなものを火にどんどんぶち込む。火は大きく燃え上がった。
そんな感じでブルボンKZが柏崎で設立。

起業すると決めて、まずつまずいたこと。社名に悩んだ。建築屋さんになりたい訳でもなく、資格も持ってない。店舗内装だけに特化できるほど柏崎には仕事もないだろう。
「なんだかよく分からない感じにしたいな!」
悩んだあげく、起業届けに「オッドアイイデア」と書き込む。
オッドアイとは左右の瞳の色が違う動物のこと。
oddeyeの後にideaをくっつけてローマ字読みにしてみた。それが「オッドアイイデア」だ。分かりづらい社名だ。後悔はしてないが、未だに領収書がちゃんと出たためしがない。

名刺はなるべく情報を減らした。会社のロゴはエンボスのみ。社名も一番小さいフォントに。結果、これもわかりづらい。名刺交換ではよく裏面だと思われる。
起業を指南してくれた方に経営コンサルは受けた方がいいと半ば強引に創業相談に連れて行かれた。
社名、名刺を見られ
「君、やる気あるの?」
と言われる。
経営戦略の無さにも呆れられ、けちょんけちょんに言われる。
あまりにもの言われ様に最後は紹介してくれた人から
「渡邉さんはゆるい感じでいいんです」
とタオルを投げ入れられてTKO負け。

私が柏崎に帰ってきて水球のプールに顔を出し始めたあの頃の中学生は今、指導者として一緒にプールで大声を出している。彼は今年で40歳だそうだ。教え子と酒が飲めるという、年齢だけではない立派なおじさんになった。

起業して8年目に入った。柏崎の街の大きさは私にとってちょうど良かった。これ以上小さくても仕事がないし、大きかったら埋もれていただろう。
創業相談のコンサルのおじさんは私のことはもう覚えてないだろが、私は今、試合には負けたが勝負には勝った気分だ。
「人生とは何かを計画しているときに起こってしまう別の出来事を言う」
ハプニングや力不足で毎日の様に軌道修正をしていく人生計画だったが、今ここにいるのは最初から決まっていたかのような気がするほど無駄な時間はなかったし、後悔もない。ただし、今も軌道修正をしている毎日だ。
小さいころの夢
「大工さんの仕事で社長になる」
は母親が想像していたものと違うが、まんざらでもなくクリアできた気がする。後は「お母さんに3階建の家をプレゼントしてあげる!」だけだが、この調子だとそれは一生達成できそうにない。それよりもハタチの時に借りた30万円の取り立てが今でも続いている。

photo:ヒロスイ

2020年10月28日 22:41

カテゴリー / まちから

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投稿者 / yajima