別アングル 渡邉 豊 episode.1

別アングルは柏崎の魅力的な人を取材して、その人の情熱や生き方を紹介するインタビュー記事です。
お話を伺うのは、仕事、遊び、趣味など、何かひとつのことに打ち込む人たち。動機は、好きだから、楽しいから、気が付いたらやっていたからと、いたってシンプル。
それが結果として人を喜ばせ、地域のためになっている。
別アングルから見るとまちづくりになっている。
魅力的なひとの存在に気づけば、またさらに柏崎が好きになれるはず。
そんな想いでこの記事を書きます。

渡邉 豊(わたなべ ゆたか)

柏崎市生まれ。ODDEYE IDEA(オッドアイ イデア)代表。
店舗のデザインや住宅のリノベーションを手掛ける。
柏崎の水球界ではコーチも務め、選手の育成に励む。

盆暮れ正月に親戚が集まると決まってお年寄りが必ず同じ話をして「おばぁちゃん、その話何度も聞いたよ」とまわりが言う。そんな経験ない?
我が家のそれは、もういい年になった母親の「豊は小さい頃『大工さんの社長になってお母さんに3階建の家をプレゼントしてあげる』って言っていたのに、未だにくれやしない」というルーティーンだ。
思い出すと確かに、子供の頃は漠然と家を造る仕事がしたいと思っていたが、所詮、子供の戯言。
そこにむけて努力は一つもしていなかったし、言ったことさえ忘れていたよ。

マンガを描くのが得意で、運動音痴の肥満体型だった小学生時代。不思議といじめられることもなく友達も多い方だった。運動音痴な私ができたスポーツは肥満解消のため親が習わせていた水泳と、唯一の家族行事だった冬のスキー。
とは言え水泳は大好きなアニメの放送時間が重なっていたから毎週どうやって休むか考えていたし、スキー場は斜面で雪だるまを作り、お昼はロッジでカレーライスを食べる娯楽場としか認識していなかったけど。

中学に入ると状況が変わり始める。マンガを描く毎日は同じでも、なんとなく入った水泳部で、今でも刺激を与えてくれる恩師とチームメイトに巡り合い、積極的に部活動へ参加するようになった。
タイムが良くなっていくことに喜びを覚え懸命に練習したものの、選手としては大成せず。
なにしろ、小学時代の運動音痴のビハインドは大きい。

テスト一週間前の部活休みに入るとまずすることは、部屋の模様替え。3日かけて間取りを構想し、わからないなりに図面を描いて3日かけて家具の位置をうごかすんだ。
中間、期末テストの度にする模様替えは、高校生までつづく。同じ配置にするのも嫌だったので、その都度、無い知恵を絞って全く違うレイアウトに替える。
今思うとその作業の積み重ねが、空間把握力や動線の基本など、現在の仕事にとても影響をあたえているんじゃないかな。
テスト結果が散々なものになったという影響もあったけどね。

高校でも水泳をやろうとしたが、当時は水泳部がない時代。
仕方なく水球部に入部。いままでの個人競技とは違う団体競技であり、ゲーム性の高い種目だ。
運動音痴ゆえ球技は苦手だったが、魅力がいっぱい詰まっているスポーツだと思った。
中学以上に部活の記憶しかない学生生活を過ごした。
大した結果ものこせなかったが、同じ時代に同じ部活で流した汗と涙は一生の仲間を作ってくれた。

水球に没頭した分、マンガを描く習慣はいつの間にか無くなった。
…いや本当のことを言えば、高校生にもなってマンガなんかを描いている自分はダサいと思い、自ら封印していったのが正直なところ。

部活も引退した高校3年の夏。
気がつくとクラスメイトは次の進路に向けて真剣に取り組んでいた。
進路を決めるには遅すぎるその頃に、なんとなくテレビの中の華やかな世界に憧れを持つようになる。
安易な考えだけで東京の放送関係の専門学校に進学を決めた。

いざ進学すると放送業界は大卒じゃないと受け入れないという事実に出会う。
それでも周りの人間は放送が大好きだから専門知識を学びたいという高い志で授業を受けている。
進学した学校は、そんな猛者たちの集まる場所だったんだ。
自分が安易に進路を決めたことに気がつく。

ここに何を学びにきたのか?どんな仕事をしたいのか?
時間だけが過ぎる中で、2年生で専攻が分かれる時に「舞台美術」と言うコースに目が止まる。
「あっ、これだ!」
忘れていた記憶。大工さんへの憧れ、絵を描く楽しさ、部屋の模様替え。
「舞台美術」は舞台のセットを考え、小道具をチョイスし、舞台を造る。
やっと見つかった自分の道。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

episode.2へ、つづく

photo:ヒロスイ

2020年9月30日 20:50

カテゴリー / まちから

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投稿者 / yajima