別アングル 行田 昭仁 episode.2

別アングルは柏崎の魅力的な人を取材して、その人の情熱や生き方を紹介するインタビュー記事です。
お話を伺うのは、仕事、遊び、趣味など、何かひとつのことに打ち込む人たち。動機は、好きだから、楽しいから、気が付いたらやっているから、といたってシンプル。
地域の課題解決のためと思ってはいません。柏崎のまちをよくしようと思って、それをやっているわけでもない。しかし、結果として人を喜ばせ、地域のためになっている。
別アングルから見るとまちづくりになっている。
魅力的なひとの存在に気づけば、またさらに柏崎が好きになれるはず。
そんな想いでこの記事を書きます。
第一回目は行田 昭仁(こうだ あきひと)さんです。 episode.1はコチラ

行田 昭仁

1976年 柏崎市生まれ。株式会社藤技建 代表取締役。
スキーやスノーボードなどのウィンタースポーツを通じて、仲間との暮らしを楽しむ。
南鯖石の山室集落在住。

専門学校での生活も2年が過ぎ、20歳になったころ。
生き方に疑問を感じるようになった。
「自分はこの道を進んで何になるんだろう」
同級生はみんな就職して働いている。
山室集落の中でも自分のような存在は、マイノリティーだったというのもある。

離れて暮らす両親の顔も浮かぶ。
今のようにケータイが普及する前のこと。
通信手段は専門学校の寮にある公衆電話という時代だ。
頻繁には連絡できない。
長野と新潟。距離以上に離れている感覚。

「いま以上にスキーを頑張らなければ、何にもなれないんじゃないか…」
あせりからか、がむしゃらにトレーニングする。
自分を追い込む。無理がたたり、ケガをした。
あれだけ好きだったスキーが嫌になった。
ケガが理由だけど、心もケガしていたんだと思う。
専門学校をやめて、山室集落に帰ることにした。
地元に戻ってから、1シーズンはスキー靴を履かなかった。

スキーを再開したのは、仲間からの誘いだった。
今までやったことのなかったモーグルに誘われて、またスキーをするようになる。
その頃から山室集落から近くのスキー場に頻繁に通うようになった。
高柳のガルル、小千谷の山本山、松代のファミリースキー場。

仲間とシーズンパスを買ってスキー場に通い詰めると、スタッフたちと仲良くなる。
父親くらい離れたスタッフだ。
きっと俺らが若いから可愛かったんだろう、良くしてくれたよ。
悪ガキだったけど、純粋だったから。

「夜のうちに圧雪車で雪を盛ってくれませんか?スキーのジャンプ台作りたいんです」
スタッフにお願いして、仲間とジャンプ台を造成する。
どうしたら楽しめるか、自分たちで工夫するんだ。
そんな遊びをしているとスキー場から
「どうしたらお客さんがもっと来るかな?」
「ジャンプ台作ったんだけど見に来てよ」
なんて相談されることも。

そうこうしているうちに、スキー場を貸し切りイベントを企画するようになった。
リフト券付き、雪で造成したセクションを滑り放題。
ついでにBBQ食い放題、酒飲み放題、みたいなイベント。
ビッグエアもやったな。

仲間と一緒に、楽しいことをするのが最高のひとときだった。
もちろん負担もある。
イベント前には仕事を終えてから、徹夜でコースをつくるこもとあった。
しんどい思いをして、金が入るわけでもない。
けど、仲間との楽しい時間はプライスレスなんだ。
仲間と楽しいことをするとき、最初にそろばんを叩いたりはしない。

結婚をしたときは、まわりからさんざん
「スキーはもう卒業だな!」
と言われた。
結婚してスキーを続けられない、よくある話だ。
けど、俺はやめずに続けた。今では子どももスキーに夢中だ。
俺が俺でいるために。俺からスキーを取り上げることはできない。
嫁さんも、俺がスキーしなくなったら逆に心配するんじゃないかな。

小さい時からずっと開催されていた山室スキークラブのダウンヒル大会の
「山室滑降」は、クラブが解散した時以来、開催していなかった。
あるとき、山室集落の先輩が人生の転機を迎えた。
お世話になったお兄ちゃんのような存在。
山室集落を盛り上げて、その先輩の人生の門出に花を持たせたい。
山室滑降を復活させることを決心した。

episode.3へ、つづく

photo:ヒロスイ

2020年3月30日 22:14

カテゴリー / まちから

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投稿者 / yajima