別アングル 行田 昭仁 episode.1

別アングルは柏崎の魅力的な人を取材して、その人の情熱や生き方を紹介するインタビュー記事です。
お話を伺うのは、仕事、遊び、趣味など、何かひとつのことに打ち込む人たち。動機は、好きだから、楽しいから、気が付いたらやっているから、といたってシンプル。
地域の課題解決のためと思ってはいません。柏崎のまちをよくしようと思って、それをやっているわけでもない。しかし、結果として人を喜ばせ、地域のためになっている。
別アングルから見るとまちづくりになっている。
魅力的なひとの存在に気づけば、またさらに柏崎が好きになれるはず。
そんな想いでこの記事を書きます。
第一回目は行田 昭仁(こうだ あきひと)さんです。

行田 昭仁

1976年 柏崎市生まれ。株式会社藤技建 代表取締役。
スキーやスノーボードなどのウィンタースポーツを通じて、仲間との暮らしを楽しむ。
南鯖石の山室集落在住。

2020年2月某日 行田さんのガレージにて

俺が生まれ育った山室集落では、厄年や還暦を迎えると家に人を招いて飲み食いをする習慣がある。
昔の人の「人が集まる家は、よい家だ」って考えがもとになってるんだろう。
我が家も、俺が小さい時、家族に厄年や還暦があると、大勢の人がやってきた。
俺は一人っ子だったけど、ウチに人が集まって楽しそうにしているのが好きだった。

3歳のころからスキーをしている。集落は冬になると一面、雪に覆われる。スキーしかやることがない。
家の裏山の頂上には稲荷さんの祠がある。
雪がつもると裏山の頂上まで、おばあちゃんが道付けをする。
道付けってのは、降り積もった新雪をカンジキを履いて踏み固め、歩けるようにすること。
裏山にできた道付けの跡をコースにして、スキーをしていた。

裏山に残る祠のあと

山室集落のスキークラブにも所属。
「一緒に滑ってください!」って言って、近所のお兄ちゃんたちにくっついて回ってたな。
今はもう閉鎖したが、鵜川のスキー場にもよく行った。
親に車で連れて行ってもらって、親は先に帰り、ひとりで一日中滑り続けるんだ。
ゲストハウスのような山小屋があって、休憩しているとスタッフのおじちゃんが声をかけてくれる。
「お兄ちゃん、一人で頑張ってるから、コレ食いな」と、温かいうどんをおごってくれる。
冷え切った身体に温かいうどん。嬉しかったな。

雪国だからかな。同級生もみんなスキーが滑れた。
みんながスキーを滑れる中、俺はタイムを競う競技スキーにハマった。
負けず嫌いだったし、人と違うことをやるのも好きだった。

山室スキークラブには、「山室滑降」というダウンヒルの大会がある。
この大会、集落の農業と関連があるじゃないかな。山室集落は米作りが盛んだ。
集落には平地の開けた田んぼのほかに、林道を登っていった山間にも田んぼがある。
冬の終わり、少しづつ雪の日が少なくなる3月。
ドーザーなどの重機を使って、山間の田んぼへ続く林道の除雪をする。
少しでも早く雪を消して、田んぼへ行きやすくするためだ。
除雪と言っても完全に地面が出せるわけじゃない。
できることは固まった雪を割って雪が消えやすくするくらい。

山室滑降のコースとなる林道。2020年は雪が全くなかった。

ドーザーで雪が割られ、圧雪が残る林道を見て誰かが言ったんだろう。
「ここをスキーで滑降したらいいじゃないか!?」って。
そんな雪国・米どころらしいダウンヒル大会にも、ずっと参加し続け何回も優勝した。

「スキーで飯が食えたらいいな…」
将来のことを考えるとき、そんな風に漠然と思っていた。
しかし、日本では競技スキーだけで飯を食うことはできない。
夏は農業をして、冬はスキー場のインストラクターをしているひとがチラホラいるくらい。
自分もそんな風になれたらいいなって。高校卒業したら、スキーの専門学校に行こうと決めていた。
長野にあるJASRAという学校だ。ここでは指導者の資格がとれる。
通っていた高校では前例のないことだった。
両親は一人息子が急にどこかに行くのは心配だったはず。
けど「しょうがねぇな」くらいに、何も言わず送り出してくれた。

専門学校での生活は一言でいうと「軍隊」。今では考えられないくらい体育会系のノリ。
朝起きてすぐ10キロランニングとかザラ。
耐えられず入学早々に脱落していくヤツもいた。成績もみんなの前に張り出される。
ライバルであり仲間である同期たちに負けたくない一心で、この軍隊での生活をなんとか生き延びた。
仲間がいなかったらどうなってたか…。この時の仲間はいまでもよくツルむ。

専門学校では海外遠征にも行った。
競技スキーの聖地、オーストリアのインスブルック。初の海外旅行、何もかもが日本と違う。
スキー場がとにかくデカい。
風光明媚な観光地としても有名だが、目の前の雪山と斜面しか見えていなかった。
記憶に焼き付いているのは、真っ白な雪の世界だけ。
休みなくスキーをして、余裕なんてこれっぽちもない。
スキーを教えてくれるのは、 ゲオルク・ホールリグルという有名なコーチ。
一流の環境、技術と出会い
「この国に住んで、スキーがしたい!」
って思ったこともあった。

上手くいっていたかに思えたスキー人生。
だが専門学校での暮らしが二年たったあたりから、心境が変わり始めた。

episode.2へ、つづく

photo:ヒロスイ

2020年3月29日 09:31

カテゴリー / まちから

#

投稿者 / yajima